24日のSANKEI EXPRESSにアンディー・ウォーホルの記事が載っていた。

「反復し増殖する日常の風景」と題して「アンディー・ウォーホル 永遠の15分」 1の宣伝である。

アンディー・ウォーホルと森山大道

この二人は僕の中でセットになって記憶されている。
というのも、以前、大道さんがウォーホルについて語っていた記事がとても印象に残っているから。

これが写真だ

2009年8月1日号のpen「プロが選ぶ、究極の1冊。」の中で、大道さんはウォーホルの本をあげて自身の思い入れを語っている。

アンディー・ウォーホルの作品を見て、30歳 2の森山大道さんはこう感じたそうだ。

「”これが写真だ”と思いました。もちろん『ファクトリー』を写した写真を見て、うらやましいなと思ったし。東松照明さんや、ウィリアム・クラインなど、尊敬してインパクトを受けた写真家はいたけれど、ウォーホルの前には吹っ飛んでしまいましたね。」

「僕はそれまで写真を撮ってきて、”写真は完全にコピーの世界である”という考えがありました。複写して複製し、それを量産するという写真に対する僕の考えが、ウォーホルの作品にスパッとフィットした。写真はコピーである、ということがね。僕はこの本を見て、逆に写真のポテンシャルというものを感じました。コピーの世界って、僕に言わせると、永遠だから」

アンディー・ウォーホルの存在が、大道さんの写真を、考えを、肯定してくれたのかもしれない。
「影響」「感化」「刺激」というよりは「肯定」という表現がしっくりくるような気がする。

大道さんは、写真はコピーであり世界の断片だという考えをずっと変わらず持ち続けている。
その断片は到底集めきれる物ではないが、ただただそれを「記録、複製」するという、極めてシンプルな行動の発露を持って、今でも写真を撮り続けている。そこには、アート、オリジナリティ、なんて考えは微塵もなく、目の前のあるがままをコピーしているだけ。
自身の写真集にコピーライトマーク©なんていらないとまで言ってしまうくらいだ。

大道さんはこの年に『にっぽん劇場写真帖』を、72年に「写真よさようなら」を発表している。

今、ウォーホルを前にして、何を思うか。

「アンディー・ウォーホル展 永遠の15分」と題する”写真展”。
5月6日まで。
いかねば。

Notes:

  1. 六本木の森美術館で5月末まで開催中
  2. 1968年2月から3月にスウェーデンのストックホルム近代美術館で催された「アンディーウォーホル展」のカタログを、当時、萩原朔美さんに借りて観たそうです。とすると、大道さんは30歳。ちなみに、このとき借りたアンディーの本は2009年時点で返していないそう。