Tackling

1849年、スコットランドのグラスゴー港から、帆船に乗って、ジョン・ミューアはアメリカを目指す。
荒波にもまれた帆船は悲惨な状況で、ほとんどの乗客は船倉にある寝棚の中でひどい船酔いに倒れていた。そんな中、ジョンは船酔いなどまったく関係ないという様子で、船員と仲良くなり、ロープワークや帆の張り方、名前を教わり、航海の手伝いをしていたとか。船長からもかわいがられ、船長室に呼ばれてはスコットランドの話などをしていたという。

ぱっと浮かんだのが、ゴン、だった。まるでゴンだ。って。ジョン・ミューアはゴンか。ゴンさんか。

ミューア一家がアメリカに渡った49年は、まさにゴールドラッシュ。
この年にカリフォルニアにうつった人たちのことを指す「フォーティーナイナーズ」という言葉ができるくらい、ヨーロッパや世界各地からの移民が多かった。大航海時代ならぬ大移民時代。
経済的な発展が著しく進み大富豪が次々に生まれ、独占資本主義体勢の基礎が固まりつつある中で、低賃金の労働力を得るために新天地アメリカでの豊かな生活を夢見る移民を、誇大広告であおっていたとか。

肥沃で開拓に適した大地をもとめて、ダニエル・ミューアが選んだのが、ウイスコンシン州マーケット群のバッファロー・タウンシップという地区。得た土地、約80エーカー。ミルウォーキーから約180キロほど北西部に入ったところ。
東京ドームが約11エーカーらしい。80エーカーって、東京ドーム7個分だね。でかいね。広いね。

ここにいたるまでに、グラスゴー⇒ニューヨーク⇒ハドソン川遡上⇒オールバニー⇒エリー河定期船⇒モホーク川西進⇒バッファロー港、という道のりをたどったらしい。

このグラスゴーからニューヨークへのぴゅーんだけで5000kmは超える。
2015-02-21 2.35.46

ニューヨークからウイスコンシンまで、まっすぐの線で1500kmくらい
2015-02-21 2.36.39

遠い。遠い。ニューヨーク着いてからもすごい遠い。旅の過酷さは想像するに難くない。

そしてこのアメリカの、ウイスコンシンの、広大さ、東京ドーム7個分の土地といわれても、なんだかちっちゃく感じてしまうくらいだ。

11歳でアメリカにやってきたジョン・ミューア。
新しい土地、父親が「ファウンテン・レイク・ファーム」(日本語だと、泉湖農園みたいな?)と名付けた土地には、野生に満ち満ちた自由に駆け回れる世界が広がっていた。目の前の光景を目にしたジョンはこう語っている。

突然、私たちは無垢な荒野に飛び込み、心あたたかな自然の洗礼を受けたのだった。これ以上の幸せが果たしてあっただろうか。私たちは、実はこのウイスコンシンの地で、そのときは気づいていなかったが、ずっとすばらしい授業を受けていたのだ。それは、あらゆる野生の授業であり、愛の授業であり、私たち魅惑する授業だった。そこには、鞭などなかった。ああ、素敵なウイスコンシンよ!

ただ、現実はそう甘くはなく、ジョンは農地開拓の仕事に日々明け暮れ、父親に酷使され、つらく激しい農作業で体を壊し生死の境をさまようことも。父親の狂信的な宣教活動が家族の生死にかかわるほど影響するようになって、ジョンはしだいに父への反抗心を抱くようになる。父親の農地開拓に対する考えに批判的になるにつれ、元々自然が好きだったこともあり、ナチュラリストとしての志向が自然と強まって行くことになる。

父との対立、厳しい労働環境、加えてジョンの発明家として素質や、学問への興味などがあいまって、外の世界へと興味がむいて行ったのも仕方が無いことだったのかもしれない。
ただどうすることもできない環境に置かれていたジョンは、感情のはけ口として、発明と読書にますます没頭するようになって行く。

まだまだ、先は長い。


画像:帆走フリゲートとその帆装図