Firmin_Didot_Freres_Falls
この回の、ジョンの移動がすごくて、そこを整理してみつつな。
1マイル=1.609344キロメートルなので、1000マイルで1600キロですね。

南北戦争が勃発し、ウイスコンシン大学を辞め、一人旅に出るジョン。
マディソンを出発しミシガン州を北上。カナダの国境を越える。カナダのヒューロン湖のジョージア湾付近を探検。植物採集をしたり。
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放浪の旅を続け、ひどい空腹、飢えに苦しみながらも

私は押し黙ったまま放浪を続けた。自由であり幸福であったが、貧しくもあり、豊かでもあった。

と、ジョンは言う。

ジョージア湾⇒ナイアガラの滝⇒オンタリオ州ミーフォード。
9月、ナイアガラで弟のダンに会い、一緒にその後ミーフォードへ。
弟のダンがミーフォードのトラウト製材所で働いていたこともあり、勧められて技術者としてともに働きだす。
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1865年。南北戦争終結。
戦争が終結し、徴兵の心配はなくなった。ダンはニューヨークへと違う仕事を探しに出て行ってしまう。
トラウト製材所でひとりとなったジョンは、今の製材所で技術者として成功を収めていることに満足をしつつも、地質学や植物の研究への意欲は持ち続けていた。アメリカ南部から西インド諸島、南アメリカの植物研究をしたいという夢を描きつづけていた。将来に悩みながら1年半ほどたったころ、なんと工場が全焼してしまい、旅の途中で集めた植物標本もすべて失ってしまう。

ジョンは再びアメリカへ。

ミーフォード⇒インディアナ州インディアナポリス(700kmくらい)
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産業都市として発展をしたいたインディアナポリスの製材所に勤め、ここでもジョンは発明家、技術者としての成功を収める。将来を約束されるほどに。
そんな中、製材所での作業中に目を負傷するけがを負い、視力をほとんど失ってしまう。友人の紹介してくれた医師の懸命の治療のおかげで視力が回復してくると、彼は残りの人生を、夢のために使うことを決意する。

私は、百万長者になれたはずだった。しかし、あえて放浪者の道を選んだ。

1867年。
インディアナポリスのジェファーソン駅から、ジョンは長い旅に出る。
インディアナポリス⇒ジェファーソンビル⇒ケンタッキー⇒テネシー⇒ノースカロライナ⇒ジョージア⇒サバナ⇒フロリダ⇒シーダーキー
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旅の持ち物は、コンパスに、地図、標本セット、植物ガイドブック、新約聖書、ミルトンの『失楽園』、ロバート・バーンズの詩集、背表紙に「ジョン・ミューア、惑星=地球、宇宙」と書いた日誌。

旅の途中で、南北戦争の爪痕を感じたり、過酷な旅で疲弊し、マラリアにかかったりと、命からがら。
体力的に、これ以上の南下の旅は危険だと判断し、南米をあきらめカリフォルニアはシエラネバダの気候で健康の回復を待つことに決める。

1868年、ニューヨークに戻って、パナマ経由のカリフォルニア行きの船にのる。
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と、ここまでのなんと長い旅。

画像:Roux de RochelleによるÉtats Unis d’Amériqueから、1837年のナイアガラの木版画