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pic:Léon Matthieu Cochereau, Studio of Jacques-Louis David

2015年3月19日(金) くもり、でもあたたかい。

国立新美術館、「ルーブル美術館展」へ行ってきました。
行ってきまして、さて筋トレに励もうか、という意気込みでいっぱいになりました。
というくだらない記事を書きました。とてもくだらないし、作品の解説なんかをのせているわけでもないので、そっと閉じられてもしょうがないかな、という感じ。
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平日なのに結構な込み具合で、2時半ごろ入って、最初から最後まで観るのに2時間強くらいかかったでしょうか。
休日だと、どうなってしまうのか。
「天文学者」の前の人の群れ、近づいて観るのに一苦労。
平日の朝いち。ゆっくりみるならこれしかないのでしょう。

国立新美術館って、THE NATIONAL ART CENTER TOKYO」っていうんですね。館の名前に「東京」って入ってないのに、「TOKYO」ってつけちゃうんだ。なんてこと思いました。

あと、窓掃除大変そうだなあとか、どうでもいいことも思いました。
窓掃除するだけでも大変そうなのに。でかいから。
かつ、手前にブラインド見たいな半透明の板が、何枚も何枚も等間隔ではめ込まれているじゃないですか、あの建物。あそこに汚れとかたまりそうだし、鳥の巣とかないのかな(さすがに対策しているのか。それでも何か困ることはあるだろう。)、あれ一枚一枚全部拭いていくのかな、どうやって綺麗にしているんだろう。みたいな、どうでもいいことを考えました。絵を観る前に。

さてここで、レオン=マチュー・コシュローの「コレージュ・デ・カトル・ナシオンにおけるダヴィッドのアトリエの情景」
作品の解説を記すなんて野暮なことはするつもりはなく、なんでこの絵に触れるかと言うと、アトリエの情景、裸体モデルとして描かれている男性の、その見事な体に、その美しい肉体をみたときに、なんていうか、内から湧き上がるものを感じました
Cochereau_Lo_studio_di_David-2
この裸体のおじさんの、この鍛え抜かれた美しい体
Cochereau_Lo_studio_di_David-3
目指すものが、みえたようなきがした。

この男性がモデルというようなものを職業にしていて、そのためにこの肉体を維持/開発しているのかとか、わかりませんが、
個人的には、彼の筋肉はいかに美しくあるべきかということのために作られた養殖筋肉ではなくって、普段の農村生活的な、それこそ今回のルーブル美術館展のテーマになっている「市民の日常生活」の中で必要となる肉体労働によって獲得した天然筋肉である。
ということを前提に観ていまして、それだからこそなおさらこの肉体美にひかれるというか、養殖だったらひかれないということではないのだけれども、感じ方が違ってくるなと言うことはある。

あるいは、こちら
セバスティアーノ・リッチの「サテュロスと農夫」より
右のサテュロスの、動物的で、荒々しくも美しい肉体(上半身のみ対象)
Ricci_satyr
pic:Sebastiano Ricci’s painting of “The Satyr and the Traveller”

とりあえず、この2枚の絵を見て、ここまでがんばってみるか、みたいなことを思いました。
天然はむりだから、養殖物でがんばってみるか。みたいな。

最近、TEDをみて、TEDの親友の主人公(名前忘れた。TEDしか名前覚えてない。)もなかなかいい体してんなあとか、ラブ・アクチュアリーをみたときは、マーク(高身長眼鏡インテリ系イケメン)が服を脱いだらすごいいい体していて、ちょっとどきっとしちゃったり。
なんだこれ。みたいなことが多い。

とりあえず筋トレに励む。