菅原一剛さんとX-Pro2とサハリンの記録

とてもいい動画だったので、書き起こした。

——————————————ここから文字起こし
一枚の写真の中に本当に、そこの瞬間に至るまでのいろんなストーリー、もちろん写真の場合は被写体が主役なので、相手側のヒストリーというかストーリーがそこに大きく関係してくるんですけれど、そこに自分のヒストリーだとかストーリーみたいなものが、考えていたこととか感じていたことが、やっぱり重なり合う。それが永遠性をもって、一枚の写真として、そこに残っていく存在していくっていうことがすごく素敵なことだなと僕は思っていて。

今回、人の写真もそうですし、サハリンに何を撮りに来たかっていうと、暖かい何かを見つけることができるんじゃないか。それしかないんですよね。

例えば宮沢賢治の話にしても、宮沢賢治がたどった場所を見てみたいというのももちろんあるんですけれども、一番写真として写したい興味があるところっていうのは、死を覚悟するくらいの気持ちで来た宮沢賢治が、最終的にあれほど暖かい銀河鉄道の夜というファンタジーみたいなものを着床する。なおかつその夢物語で、死者の世界の話だったりするんですけれど、ある部分においては日常の中に戻って行ってまた旅をするみたいな。しかもあのジョバンニ、カンパネーラって日本人ではない、間違いなくここに来たから、ロシアの人たちと触れ合ったことによって生まれた主人公の名前だなって確信しましたし。それが非常に僕は暖かい印象があるっていうことがすごく素敵だなと思っているので、少しでもそれに近づけるような暖かい写真を撮りたいな、撮れたらいいのになと思っているので、光にはとても注意は払っているつもりなんです。

ポロナイスク(旧敷香町)にて

今回みなさんにお会いしたかったのは、外国人に、あるいは、珍しい人たちにお会いしたいということじゃなくて、もしかしたら僕ら日本人、あるいは僕自身の非常に関係のある人たちというか、ルーツみたいなところにお会いできたらなと思ってきました。

少数民族の人たちを撮ろうと。ロシアですよねここは。誰一人としてこれは外人だなという人がそこにいなかった。ある意味、日本人に近いんじゃないのって、カメラの前に立ってくれた時の彼らの態度、非常に嬉しかったのが、みんな安心感を持ってカメラの前に立ってくれていたので、僕も一生懸命撮りましたし、一生懸命取った結果としてストレートな暖かい写真が撮れたと思いますし。そのあとも、演劇があったので、その中に一人、ただの少数民族だけじゃなくていわゆるロシアとのハーフ、ロシアンミックスの女の子を撮影したんですけれど、ロシア人と少数民族がそうやって混じり合っていて、すごく可愛い子がいて、それを僕がまた日本から来て可愛いなって思って一生懸命撮影をして、それをまた一枚の写真となって日本の中に広がっていったりとかするわけだから、悪くないなと、なんていうんだろう、撮れたっていうか、撮ったっていうか。そんな興奮冷めやらぬうちに、あっという間に1日が終わり日が沈み、満天の星空。こんな満天の星空の中にあの人たちがいるんだな。僕はそれを見て写真を撮っているんだなってことが、なんかすごくこう、偶然なんだけど全部、とても大きな必然をやっぱり感じましたし。

もともと写真というのは、偶然を必然に変えていく仕事だと思ってずっとやってきているので。

28mmと50mmっていうのは常にそのレンズで旅をしたり、歩きながら撮る時にはこの2種類のレンズで大概のものは撮ってきているんですけれど、こうちょっと「あっ」て思った時は28mmで、具体的にあっと思う画があったら50mmっていう視点の切り替えでいつもレンズを使っているんですけれど。

山の表情が見えるくらいっていうのは、僕は135mmくらいが一番いいなと思っていて、ちょっと寄れるんです。あんまり寄り過ぎちゃうとそのディティールばかり追いかけちゃって自分とは関係ない世界になっていっちゃうんですけれど、あのぐらいの距離がちょうど良い。

当初の目的の一つだった間宮海峡ってなんとも言えないロマンを感じていて。間宮海峡に行ってみようって思ってたんですけれど。間宮海峡の前にばーっと広がってるじゃないですか。素晴らしい状況だからといって、そこで素晴らしい写真を撮ってやろうってなると、自分がわーきれいだなって思っている気持ちに泥がつくんですよね。そうじゃなくてやっぱりもっと純粋な思いが綺麗だなって思っている状態にシフトしながらシャッターを切るっていうか、非常に実は個人的なことだけれども、目の前にきて自分がわーって思った時のことを一生懸命撮るというか。それがね、なんかのたまに偶然ばーんとスパークすると、間宮海峡、っていう写真が撮れたりする場合があるっていうことなんじゃないですかね。

偶然なんですよね全部。

偶然なんですけどちゃんとそれが必然になっていっているなと思っていて、だから僕は撮れていると思っているんです。これがただの偶然だけだと、すごかったねーって終わりますよね。

白鳥湖、栄浜にて

妹の魂を追いかけて、ここまできて、宮沢賢治にしてみると自分の体の半分がなくなってしまったような感覚がたぶんあったんじゃないのかなっていうふうに勝手に想像していますけど。栄浜っていうところに日中夜というか長い時間さまよっていたみたいなので、そんな姿を見た浜の人たちは声をかけたんじゃないでしょうかね。銀河鉄道の夜っていう物語は夢の中を旅しながらも、もう1口で日常に戻ってくるような物語でもあったりするわけ。出会った人たちの毛筆との日常が自分とは関係ない、けどこの人たちの日常がこの場所にあるんだなっていうことを感じたり知ることができて、銀河鉄道の夜という素晴らしい物語をやっぱり編み出してくれたのは、そういうことなんじゃないかな。

本当に暖かいところがあるんじゃないかなと思ってきたんですけども、探す必要もないほどに、非常に暖かい場所だったんだなという印象が僕にはあります。それは宮沢賢治も然り、ここに訪れた人はみんな同じ思いを持って帰っているんじゃないかなというふうに、思いました。
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写真がもっと好きになったよ、菅原さん。