2017.03.24 fri 恵比寿

改装が終わってからはじめての東京都写真美術館。
恵比寿駅からガーデンプレイスへ向かう動く歩道の終点。そこから地下へ続く道ができていた。前はこんな道はなかったように思う。そのまま美術館につながっているらしい。入り口までは、先ほどの地下道を除いては変化は見られず美術館入り口の前のキャパの写真もそのまま。ここも変わるのかと思っていた。

美術館内の装いは一変していた。広い。一階のショップは二階に移動したよう。かわりにもともとショップがあった場所には喫茶店がはいっていた。2階にあった(たしか)ロッカーが一階に移動していた。
今日はたまたま都写美にきた。もともと恵比寿に来る予定ではあったけど、都写美で何かを見ることは計画していなかった。むしろ時間があったらガーデンシネマでやっているイタリアネオ+クラッシコ映画祭に行こうかと思っていた。今日は昼過ぎから気ままな情事がやっていた。微妙に時間に間に合わず。

2時ちょうどに美術館入り。偶然にも2時からギャラリートークが始まるところだった。ロッカーに荷物を置いてすぐ展示場へ。学芸員さんの先導と解説のもと作品を見ていく。

初期の数年間はスナップ写真も撮っていた。

オブザーベーション(観測概念)シリーズ
自宅窓からの景色をとる。映るものが限定的。単純な(限定的な)枠組みの中での多様性。被写体を求めることへの疑問。被写体を限定する。限られた被写体に対して撮影方法を工夫する。あるいは被写体(自身の手)を追加する。このころは、寺山修司主催の劇団で劇団員としての時間を過ごす。

ヘリオグラフィー
本作で写真家協会賞を受賞。ヘリオグラフィーとはニエプスの言葉。様々な訳があるが概ね「太陽がえがく円」というところ。本シリーズで太陽が描く軌跡をとらえる。光を印画紙に転写するという写真の本質的な部分を突き詰める。太陽の軌跡はそれがそのまま経過した時間を表す。1時間、2時間、3時間。同じ地点から複数台のカメラを用いて同様な構図で太陽の軌跡を捉えていく。あらかじめ撮影地点を定め、構図を想定し、撮影内容に応じた機材を準備しておく。周到な計画を練る。その結果、写真には偶然が写り込む。光の軌跡は、途切れ、ぼやけ、にじむ。計画されていない自然の賜物が偶然の産物としてしっかり紙に焼き付いている。本展示のイメージにつかわれている鉄塔と光跡の写真も偶然の結果できあがったものらしい。鉄塔周辺にぼんやりとソーラーパネルのように四角くうつる白いものは、太陽の光が鉄塔に反射してできた像とのこと。この撮影においてもカメラを複数地点に設置し同時に撮影をするという計画を立てて鉄塔と光跡をとらえたが、計画外のものを捉えることになった。

水平線採集
ここでは太陽はでてこない。非常に抽象的。作品によっては内容の差異を認めることが難しいほど似通ったものもある。けれど決して同じものではない。ここでも、限定された被写体に対しての多様性、という視点。黒い空と白い海。白い空と黒い海。共に灰色の空と海。抽象的であるがゆえに作品の天地が明瞭でないものもある。展示をするにあたり、天地を間違えて準備されることは必ずと言っていいほどおこること。水平線採集はカラー作品もある。展示ルームに、水平線が並ぶ景色は、どこか瞑想的である。という学芸員さんの話を聞き、たしかに瞑想的であると感じた。しかしながら作者本人は瞑想的である、ということは意図していないとのこと。あえて画面(枠)を傾けることで水平に見せる写真もある。作者の作品においては、意図的に傾けて撮影するものがしばしば見られる。初期のころの作品にも。ただこういった作品は一般的には珍しい。美術館所蔵の作品には、同様なコンセプトで撮影されたものはないかもしれない。

桜花図
桜に対する偏見を切り離す。桜に対してもっている文化的、文学的な観念をとりはらって桜を撮影する。特注のレンズ(複数のレンズを連結した5000mmほどのもの)で桜を撮影する。うつる太陽はそれが太陽なのかはたまた月なのか、桜の花と背景の白い円のみの画からは撮影された時間も判然とせず、写真によっては桜であることも特定が難しいかもしれない。この写真を見て何を思うか。桜とわからずみるか、桜と知りつつそれがいままでの桜ではないと感じるのか。偏見を切り離せるのか。

クリティーク
山崎さんの写真が表紙に使われた雑誌。クリティーク。写真が表と裏にひとつずつ。そして写真に対しての山崎さんの言葉がひとつ。写真に対して言葉を残すことが少ない山崎さんの貴重なコメント。簡潔でどこか哲学的。水面を写した写真について、自分はただそこにあるものを見ているだけ。水はただそこにあり絶えず流れているだけ。被写体の瞬間を引き出して捉えているのではない。そこにあるだけ。というようなことを書かれている。
「決定的瞬間、などという見る側のヒエラルきー」という言葉はとても気に入った。

全作品を通して、時代性を反映した作品は多くない。ないと言ってもいいかもしれない。展示についても時代順に並んでいるわけではない。それでも違和感はない。時を超えた作品。

鉄塔と太陽の軌跡を写した写真は野川からの景色とのこと。野川。調布。野川からのあの景色か、とはわからなかったけれど調布の野川という言葉を聞いて、あの写真に僕だけのストーリーができたようでちょっと嬉しかった。

山崎博さんは現在、武蔵野美術大学で教鞭をとっておられるそう。ただ、2017年で退官。現在70歳。写真家としてのキャリアは45年。

本展示の最後のスペースにフォトグラムを使って自身の手を焼き付けた作品がある。新作。手とともに、水の波紋を焼き付けた。アーリーワークスの限定的な枠組みに添えられた手はいまでも変わらず。