9月の邂逅

塔のある村 水原涼

「塔のある村」についての評、というものではなく、塔のある村を読んで僕自身について思い出したことなので極めて私的な感想文

「塔」というものが、直接的に「塔そのもの」を連想させもするし、「塔が持つシンボリックなもの」とイコールとなった「何か」を自分自身の記憶の中から抽出するようなことがなされると思う。読んだ時に。おそらく。

僕で言えば、具体的に「あの塔」、正しくは「あの電柱」になるけれど、それを思い出した。

今年の6月に函館に旅行した。函館での目的地は、海沿いの、港町。レンガ倉庫が立ち並び、ハイカラな建物、アイコンがいまもまだ其処此処に残っている。坂を登れば古い協会が、おそらく当時とさほど変わらない佇まいでその場所にある。

函館空港から件の場所にたどり着くまでの道程で目にする町の景色は、港の洒落た空気とは程遠く、路面電車も走るメインストリートではあるはずなのに空いているお店、というよりは構えているお店自体がもう数えるほどしかなかった。僕の中に残っていた函館像とはかなりのギャップがあったので驚いた。10歳くらいだったか、家族で函館に行ったときの断片的な記憶ではあるけれど、もう少し街並みは賑やかだったような気がする。

ともかく港に着いた。

函館港周辺の観光マップの端のほうに、現存する日本最古の電柱、という表記があった。気になって見に行くことにした。ガイドマップ自体には、各所がどういった場所・物であるのかの説明はほぼなく、現在地との位置関係をイラストで簡易的に示しているだけで、だからそこに記されている電柱という物が具体的にはどのような大きさで、色で、状態で、材質でできあがっているのかはわからなかった。そんなわけで、だいたいこの辺だろうかと当たりをつけて歩いてはいたものの、ただ「古い電柱」を探して歩いていただけなので、目的の「日本最古の電柱」の存在に気がつかずに一度通り過ぎ、ここまできて見つからないのはおかしいと引き返し、引き返す途中でも電柱の存在を見落とし、適当な場所で折り返すこと数度、それでも電柱を見つけることができなかった。一旦スタート地点まで戻り、改めてマップを確認して果たして自分の目指す方向が正しかったのか、そういったところから確認をせざるを得ず、正しかったとわかったうえで、ではなぜ見つけられなかったのかと頭を悩ませた。マップに記されたイラストをちゃんと見ればそれは円柱ではなく四角柱の形状をしているものだということがわかった。最初から求めていた電柱像が違っていたのだから見つけられるはずもなかった。
再び歩き出してようやく見つけた。

この日本最古のコンクリート電柱がどうして建てられて、どうやっていままで残されてきたのかはちゃんとわかっているようで、少し安心した。といっても、伝えられてきた歴史が本当に正しい物かどうかはわからないし、伝えきれないことのほうがきっと多いと思う。戦火をくぐり抜け、生き延び、破壊されることなく、倒れることなく、撤去されることなくそこにあり続けることになった理由もあるかもしれない。杜若村の住人達のように、各人それぞれの塔があって、今もまだそこにたち続けている。

あらすじ

鳥取の杜若村が舞台。
鳥取には慰霊碑が多い。歴史的な経緯、戦争、災害などで亡くなった方を偲ぶたくさんの悼みがある。その村には塔があった。ただ、なんのための塔なのか村の住人に聞いても教えてもらえない。わからないのではなく教えてもらえない。この塔に何か口にできぬ、言葉にはのせられない思いがあるに違いない。そこから、村に、塔に纏わる人物の回想を辿っていく。

語られる話が空想的であり、かつ地に足のついた現実感を持っていて、そのバランスが不思議な世界観だった。

漸然山脈