amazonビデオでみた。
おもしろさとしては、可もなく不可もなく。

牧師のお父さんが、息子の天国体験を聞いたときに、なぜあそこまで葛藤するのかがちょっとわからなかった。

例えば、息子でなくとも友人およびその他近しい人が映画のような体験をして、天国で誰々にあってきたであるとか、幽体離脱をしてぼくのことを見ていた、という話をされたとしても、あーそうなのか、というくらいでしかならないかな。僕は。特に葛藤する何かはなさそうで。

となると、お父さんは何に対してあそこまで動揺するのか
・キリスト教文化における倫理観みたいなものに関係する何か
・単純に息子の話が信じられなかった
・息子の話を信じることで家族に対して向けられる世間の目を心配した。
・本当に天国に行ってきたとすると、今までの中途半端な信仰が罪になる。

キリスト教の教義としてもともと天国の存在は信じられていると思っているのだが、天国は死後の世界という位置づけなので、死後でもなく臨死体験でもない状態で天国に行くことはそもそもおかしい。となるのか。これはちょっと違うか。

もし仮に、実は天国を信じているかというとそういうものでもないんですよね、みたいな話だとして、

臨死体験は科学的事象として説明がつくものなので、臨死体験の中で認識してきた天国は「本物の天国ではなく科学的事象に基づく空想」という扱いになって、結果的には宗教的な体験とは言い難い。故に、現代において天国の存在を証明する事例は現時点では確認されていおらず、天国の存在はあくまでも信仰上の建前であり、また、善行を促すための動機付けであり、本音は「天国はないんだけどなあ」というのが敬虔なキリスト教徒においてまで一般的に浸透している宗教観。というちょっと乱暴な話を前提とするならば、息子の体験は今までに例がなく、かつ科学的な説明も難しいとなると、その話は真実でありすなわち天国が本当に存在するということで、本音と建前の間で中途半端にいくらか形式的に行っていた信仰自体がすべて意味のないものになるか、むしろその行いが罪深いものなのでは、というところに考えがいたってお父さんがひどく葛藤していた。というのならちょっと納得がいく。

そのあたり、どうなんでしょうか。

— あらすじ —
天国を旅してきたと話す少年とその家族の実話をつづった同名ベストセラーを映画化。ネブラスカ州の田舎町インペリアルで妻や3人の子どもたちと一緒に暮らすトッドは、小さな修理会社を営みながら牧師も務め、さらに高校レスリング部のコーチや市の消防隊員など多忙な毎日を過ごしていた。ある日、3歳の長男コルトンが虫垂炎で病院に緊急搬送される。2回の手術で生死の境をさまよいながらも奇跡的に一命を取りとめたコルトンは、やがてトッドに天国を旅してきたという驚くべき話を打ち明ける。その内容にはコルトンが知るはずのない生まれる前の出来事も含まれており、天国の描写は聖書の内容とあまりにも一致していた。父親役を「リトル・ミス・サンシャイン」のグレッグ・キニア、母親役を「フライト」のケリー・ライリーが演じる。監督・脚本は「仮面の男」のランダル・ウォレス。