utulensとでかける年末年始。
いっつもカメラをぶらさげているぼくを見た母が、つかまらんようにね、と一言。

現象学について、勉強したい
現象学とは
フッサール
写真とは

オン・ザ・ロード
第一部の読み返しが終わって、やっと、第二部に入った。

メルトーメ
やっと、メルトーメのクリスマスソングアルバムが届いた。
とっくにクリスマスは終わっているけど、どうする?来年用?
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メルトーメと一緒に、「スタンダードジャズ短編小説集」も届いた。

第1話の「ふたりぼっち」を読んだところで、この先読み進めようかどうしようかなという感じ。どうしよう。短編の本筋とは関係のない、些細なところで気になったのが以下

ふたりのそもそもの始まりは、ごく些細なことだった。毎朝、電車の同じ車両に乗り合わせ、ある日、改札機の思いがけないミスでマサヤの定期券が洋子の手に渡ってしまったとか、

改札機のミスで定期券が他人の手に渡る、というのはどういう状況なのだろうか、と。

この本の出版は2006年、suicaの導入が2001年。第1話自体の時代設定がないし、話の中で時代がいつかを特定するようなキーワードもなく、となると2006年前後がそのまま小説の時代とかぶるのが自然だと思う。 で、suicaの導入から5年程度経過している状態で、改札機のミスで定期が他人の手に渡ることなんてあるのか?という素朴な疑問。

緑の窓口の駅員さんの手違いで他人に、ならわかりますが、タッチアンドゴーの改札機で間違えることなんてまずないだろうしなあ。

というよりは「定期券の入れ違いが発生する」というのが時代設定のキーワードになっているということか、そういうことか。ここに書いていて納得しました。第1話の舞台は磁気定期券しかなかった時代である。以上。