喪の日記 / バルト – 愛するとは

だれに(答えを期待して)この質問をできるだろうか?
愛していたひとがいなくなっても生きられるということは、おもっていたほどはその日とのことを愛していなかった、ということなのだろうか?
喪の日記/バルト

その人のことを確かに愛しているはずなのに、はたして本当か?と考えてしまう揺り返しこそ、愛している証の一つなのだとも思う。バルトの愛は、母親に向けられた倒錯的なそれか?
おそらくそうではなく。

バルトにとって、母の存在こそ、唯一確かだと信じられるもの、確実なもの、あるいは真実、という言葉に還元されるような存在だからではないか。世界や自分自身が確かに存在することが立証できるのか?という問題がある一方で、唯一確信できるものとして存在してくれている「母」に対する敬愛、自分と自分以外のあらゆるものをつなぎとめる楔のような存在なのではないか。

明るい部屋の中で、フロイトが残した母胎についての以下の言葉を引用し

かつてそこにいたことがあると、これほどの確信をもって言える場所はほかにない

風景写真の本質を、

私の心に「母」をよみがえらせる、故郷のようなものであろう。

といっている。

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