33/52 2018

2018年8月14日 月曜日

生活のリズムはどうしたって仕事の時間を基準に形成されているので、出社通勤退勤帰宅の枠が1日の時間枠のメインに据えられていて、曜日の上では月曜日に1週間がはじまり日曜日で終割りを迎える。という感覚。そうなると日記も月曜から始まって日曜日で終わる一連の流れでまとまっていた方が書くのにいいかなと思う反面、日曜日に1週間分の日記を読み返し些細な書き直しや振り返りなんかをしていると結構な時間を要することになるわけで、それを日曜日の夜にやるというのがいささか骨の折れる作業であるなという感想。となれば、月曜日から始まり日曜日で終わるということにこだわる必要ももはやなく、日曜日から始まり土曜日で終わる、とした方が色々都合が良さそうだ、と思う。

2018年33週目を迎える。今年2018年の半分は過ぎている。おそろしい。

男はつらいよ #22 噂の寅次郎をみる。大原麗子さんの美しさにドキドキする。

われは読む、ゆえにそれは書く
冬の夜一人の旅人が / イタロ・カルヴィーノ – p245

カルヴィーとウォーターゲームの続き。

デュボア夫人は1970年代に活躍した元女優らしく、カトリーヌ・ドヌーブと共演したこともあるという。
ウォーターゲーム / 吉田修一 – p25

カトリーヌ・ドヌーブ。シェルブールの雨傘。ロシュフォールの恋人たち。シェルブールの雨傘は、途中まで観た記憶がある。おそらく三分の一ほどしか見ていない。なんで途中でみるのを辞めたのか。なぜ最後まで見なかったのか。レンタルDVDで自宅で観たのか、名画座で観たのか。どうだったかを覚えていない。

2018年8月15日 火曜日

帰りに木綿豆腐と片栗粉を買って帰る。買って帰るようにLINEのメッセージを受け取った。木綿豆腐と片栗粉。どうやら今日の晩御飯は麻婆豆腐のようだ。セブンイレブンで、頼まれたものだけを手に取り、スナック菓子を、最近気に入ってよく食べているスナック菓子を買おうかどうか少しのあいだ悩み、そういえばまだ家に残っているじゃあないかと思い返し、すでに手にとっているだけの一丁の木綿豆腐と片栗粉だけを持ってレジへ向かう。この二つ以外には何も買っていない。それなのに、店員さんは「お箸おつけしますか?」と聞いてくる。このコンビニにはイートインコーナーが併設されているのでお弁当を買ってその場で食べて行くこともできるし、そうではなくてもお弁当やカップ麺なんかを買っていればお箸をつけてもらうこともある。それは別段変わったことではない。だけども今回は、一丁の木綿豆腐と片栗粉だけしか買っていない。店員さんは何を思って、お箸をつけますかと質問してきたのか。あるいは全くと言っていいほどに何も考えていないのか。まさかお箸をつけますか、と聞かれるとは思ってもいなかったので、その質問を受けてから少し間をおき、要りません、と答えはしたものの、店員さんにそう聞かれたことで、もしかしたら彼女は、ぼくが木綿豆腐と片栗粉だけを前にして夜食を済ませている姿を想像したのかもしれないと、そしてまたその姿でいる自分を想像しておかしな気分になった。

でも、今日1日だけなら救ってやれる、とも思う。1日、そしてまた1日。それなら続けられそうな気がする。
ウォーターゲーム / 吉田修一 -p55

途中、自動販売機の前で立ち止まり、いつものように長く迷った末に甘そうなジュースを買う。たかがジュースを選ぶのに、そこに並んだものの味を全て想像するような買い方だった。
ウォーターゲーム / 吉田修一 -p56

九条は千葉の写真が好きだった。たとえばこういう被災地を撮影しても、その写真からは悲しみではなく、そこにあったはずの笑い声が聞こえてくるのだ。55

ルネ・マグリット ゴルコンダ。

2018年8月16日 水曜日

お盆ともなると、東京といえども人は少なくなる。朝の電車、昼の街、夜の電車。街といっても職場の周囲どれくらいかという程度の範囲でしかないし、それ以外も電車の中だけ、という、日々体験する空間の多様性の乏しさ。

いつもあれほどに混み合う空間がどこもすいている。これほどにお盆というものが機能しているのだなという実感。

ウマゴヤシ(馬肥、苜蓿、学名Medicago polymorpha[1])とは、地中海地方原産でマメ科越年草唐草(からくさ)、特牛肥やし(コットイゴヤシ)ともいう。

おれの唇はひりひりする薬味で焼けつきそうだ、アナクレタは、まるでその料理にあらゆる味を精一杯盛り込まねばというかのように、いろんな薬味を加えたのだが、おれにはそれぞれの味の区別もつかねば名状することもできず、ただおれの口の中でそれらがみんな混ざり合って熱風のようになるだけだ。
冬の夜ひとりの旅人が / イタロ・カルヴィーノ p313

車窓からホームの写真を撮る男性。慣れた手付きで、そろそろ次の駅に止まるぞという頃合いで、カバンからコンパクトデジカメを取り出しては、車内からホームの様子を収めている。彼の中では、この場所では、このタイミングで、このアングルで、こう撮影するものである、という手順、設計図、説明書でもあるかのように、一切の迷いのない動作でシャッターを切って行く。そのときに、少しカメラを流すような、素振りも見せる。ただ闇雲にシャッターボタンを押しているわけではなさそうだ。

冬の夜ひとりの一人の旅人がが終盤。もうそろそろおわりそう。

今朝の光景。取っ手のついたキャンバスを右手に持った、灰色の作業服を着た男性。左腕には紺色の腕章をつけている。朝、改札から吐き出された人がコンコースを埋め尽くし、一様な速度で、駅の外に向かう流れを作っている。まるでゴルコンダに描かれている、黒いオーバーコートと山高帽を被った男性のような平均的な服装をした人々の群れの中において、キャンバスと作業服がとりわけ目立って見えた。色彩的にはむしろ同調するようではあるが、不思議と目についた。

いろんな味を含んだこの味を思い出そうとおれの人生でこれまで味わったことのある味覚を遡って、おそらくは正反対だが、その中にあらゆる味を含んだ最初の味という点ではおそらく同じでもある、赤子にとっての乳の味にたどりつく。
冬の夜ひとりの旅人が / イタロ・カルヴィーノ p313

ベッリーニのオペラ ノルマ
アリア 清らかな女神よ

トルコ式風呂ハマム

ジョーマローンの香水

2018年8月17日 金曜日

秋か。というような涼しさ。

男はつらいよ23。布施明と桃井かおり。結婚式当日に嫁に逃げられ、後日復縁を申し出るもあっけなく振られ、このままではだめだと、自分を見つめ直そうと、金持ちの実家を飛び出し、工場で働きながら風呂なし一間の安アパートでの生活を始める布施明。自分の人生を自らの意思で再スタートさせた布施明を見て、惚れ直す桃井かおりは布施明の自宅を突然訪れ、カップラーメンを食べながら自分の正直な気持ちを、控えめに、それでいて熱く語る布施明に告白をしてそのままキスをする。いきおいでカップラーメンを食べちゃったという桃井かおり。
最高だ。あたしやっぱり結婚する。の桃井かおりの表情が最高だ。

「また逃げ出したくなったりしやしないかな。今度は大丈夫よ。自分の意思で決めたんだから。」

「あたしは今くにおさんの幸せのことを考えているの。結婚するって、そういうことかなあ。」

「あんまりうまくないんですけど。といい、歌い始める布施明。」

ひと目はばからずなく寅さんも珍しいのでは。

2018年8月18日 土曜日

埃は時の肉であり、血である、と言ったのはたしかロシアの亡命詩人だったか。
ウォーターゲーム / 吉田修一 p152

マルグリットデュラス 愛人ラマン

土曜日。鎌倉に来た。何年ぶりだろうか。そんな昔のことではないが、おそらく二年前か、三年前かそんなところだ。前に来たときは、秋から冬への移り変わりで、体半分、2/3、4/3、あるいはもっと、もうおおむね冬であるといって差し支えないような、冬の方へ踏み入っているような頃合いで、海風に当たると寒さばかり強く感じられたような。夏が終わり涼しくなったかと思えば、秋の、過ごしやすい陽気は一瞬ですぎてしまって、すぐに冬になる。というのを毎年のように、さも今年感じたことであるかのように繰り返す言っている気がするし、今年もまた同じように同じことを言うことになる。昨日、今日と、8月の中旬とは思えない爽やかさに包まれて、紛うことなき行楽日より。もちろんそんな日だから鎌倉の賑わいも一層だったのではないか。歩く道々人ばかり。こう混み合ってしまってはゆっくりしたくてもしようがない。とはいえ今日鎌倉にきたのは観光するためではなく、知人の家にお邪魔するためで、となると手ぶらで上がるわけにもいかず、どうにか手土産にちょうどいいものはないかと方々を散策しているうちにもう知人宅に向かって歩き出さないと間に合わな時間になり、情けなく、なにも用意ができず。

ペット栄養管理士。そんな文句を看板に見つけた。自称?そんな資格があるのか?どうなのか。

すこし遅い昼食に麺好みいまむら。中華麺唐辛醤油。中華麺の場合は、味と麺の組み合わせを選択できる。醤油。そして麺は唐辛(とうから)にした。青唐辛子を練り込んだ細麺。チャシューご飯もつけて。

せっかくの機会だから、またとないチャンスだから、この機会を逃したらもうないだろう、もしかしたら今後の展開が生まれるかも、という、自分にとっての旨味の算段しかしないというのはどうなのか。ぼくが今そこに行くことで何か得られるかもしれない、きっと得られるだろうという期待をもっていくのはいいが、こちらから何も提供しないと言うのは、おそらく、というか、あまりこう言う言い方はしたくはないが、普通はあまり受け入れてもらえないと思う。そういったこちらのもろもろの至らなさに対して、その場では特に言及することもなく、嫌な顔をするでもなく、対応してもらっていることの有り難さ。痛いほど。では、あのときあーしていれば少しは違ったか。というようなことを考えてみて、振り返り反省し、落ちるばかり。

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