38/52 2018

9月16日 日曜日 晴れ

赤子の泣き声。かすかに聞こえる。そう遠くないところから。半分ほど開けてある窓から声が漏れ入ってくるばかりで、正確な方面がわからない。そう遠くないことは確か。外に出て確認してみる。隣の部屋からだった。

リメンバーミー。人は忘れられたら死ぬ。死者に対する、いささかありふれた言説ではあるけれど、否定できるものでもないし、そうであってほしいという気持ちは誰しもが持つ。この前のdele.lifeでも同じようなテーマが扱われていた。たまたまといえばそうだし、そうではないかもしれない。

ギリシャ哲学をまなぼう。哲学について全く知らないぼくが何から覚えていけば良いのか。何から手をつければ良いのか。とにかく、初心者向けの情報がわかりやすくコンパクトにまとまっているものから手に取り、順々に掘り下げて行くとして、「はじめての◯◯」であったり「◯◯入門」という書籍からはじめよう。ギリシャ哲学とは、という前段として、哲学史全体を見渡したい、という思い出「はじめての哲学史講義/鷲田小彌太」を読み始める。

9月17日 月曜日

敬老の日。ドライブ。テントを買った。公園ですごすために。中動態の講演のために書籍を読み始めているが、いまさら、くじけそうになりながら、少しずつ読みすすめる。第一章まで読み終えた。ここまでは、導入のところまではまだ大丈夫。無意思的記憶の連なり。マドレーヌから想起される、フラッシュバックされるあの状態は能動的でも受動的でもない。中動態がなぜ中動態と呼ばれているのか、どうして中動態が失われてしまったのか、それはこれから。第二章以降で。過去に起きた事件の真相をおいつづける刑事の手記を見ているよう、少しずつ事件の全貌画明らかになっていく、過程が面白い。

9月18日 火曜日

日常の始まり。昨日はとても暑かった。最後の夏の、盛り。今日を過ぎればきっと秋がやってくる。そんな気がした。

9月19日 水曜日

セッション22。新潮45のLGBT問題を取り上げる。ニュースを聞いて、いま、この話題が問題になっていることを初めて知る。杉田水脈。多くの批判にさらされても、自分は正しいことを言っているという主張。全くもって時代錯誤も甚だしい。先生そんなのもう時代遅れなんだよ、で世間の、日本国民の、欧米諸国の、世界中の良識ある人々がこの問題にノーを叩きつける。大多数の人がそういっているからあなたの論理は間違っているとか、圧倒的多数によって正誤が決定するとか、そういうことではなく、私の常識におさまらない倫理観・人間性は人間性とは認めないとでもいうような杉田氏の主張が、おかしい、という反論。非常に傲慢な思想ではないか。たかだか数百年、あるいはもしかしたらもっと狭く、100年にも満たない、数十年という期間で形成された、まるで当たり前であるかのように植えつけられた歴史感・倫理観にとらわれて、抜け出せなくなっているよう。狭窄な視野をもって、人間性、人間の愛の営みの形の多様性を抹殺するよう。

9月21日 土曜日

「だれかたすけてくれないかなあ」とつぶやく高校生。タブレット端末を首からぶら下げ、地図を表示しながら、渋谷の街をさまよっているようだ。どこに行きたいのか知らないが、ひどく疲れた表情から、彼が長時間歩き通しであることは容易にわかる。誰か助けてくださいと、どこそこに行くにはどうしたらいいでしょうかと、誰かに声をかけることは決してないであろうその彼から漏れ出る悲鳴を耳にしてしまった。罪悪感だろうか。

先週の猫に再び出会うことができた。彼は迷い猫ではなかったようだ。だけども、飼い猫であるかというとそうは見えない。あそこが彼の餌場であり、同時にすみかでもあるようだった。誰かに守られているのだろう。しっかりと餌が与えられている。彼はあの中から外に出ることがあるのだろうか。

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